明音ちゃんへ

同期とは同じ時期、入学、入社の時期が同じの人。SKE48は昔から期で縛る活動が多かったです。

同じオーディションを受けて、一緒にデビューのステージを踏んで、同じ夢や目標を追いかけて、互いに切磋琢磨して。

他の期を見ながら最近よく考えます。

12年前、お披露目や公演デビュー、コンサートに向けて毎日何時間もレッスンを重ねて、皆で円になってお弁当食べたり、お仕事の前後でお買い物に行ってプリクラを撮ったり、休みの日には私の地元の大阪に招いたこともあったね。全然案内できなかったけど。

お泊りのホテルとかは同室になったことはなかったっけ?

でもこうして振り返ると私たちちゃんと同期らしいことをしたんだなと思います。

初めての芸能界で色々なドキドキやワクワクを一緒に味わって、褒められたら一緒に喜んで。そしていつも1期生やチームSと比べられては「2期はダメダメだ」って言われるのが悔しくて皆で「見返してやろう」って頑張ってたくさん練習して。

どんな時も皆一緒に泣いて笑って横並びでいられる、そんな日々がずっと続くってそう思ってました。

同じチームKIIからスタートした私たちだったけど、チームS、Eそして研究生までもを網羅してしまった私と、ずっとKIIにいる明音ちゃん。今となっては同期という類で一緒に活動をすることも増えたけど、考えてみると明音ちゃんと私が同じチームでいられたのは今日までの12年のうちたった1年半というとても短い時間でした。

やっとの思いでチームKIIにオリジナル公演がもらえるという時に、そこに私はいられなくて、今更だけど本当にごめんね。

そこからはお互いが必要以上に喋らなくなって、自然と一緒の空間や時間を過ごすこともめっきりなくなりました。

しばらく経った頃、同期や親しいメンバーの卒業でどんどんとひとりぼっちになっていく明音ちゃんの姿を見つけました。

私の知る明音ちゃんは元気で明るくて楽しい人だったはずなのに、その異変に気づいても「私なんかが」と引け目を感じてしまい、手を差し伸べることができませんでした。2人の間にできた長い空白の時間は明音ちゃんへの触れ方さえも忘れてしまったみたいです。

明音ちゃんがみこってぃの卒業公演の時に書いた手紙の中に「空白の時間だったその溝を埋めていきたい」と本音を漏らしてくれたことを今でもはっきり覚えてます。

本当は一緒にオリジナル公演をやりたかったという思いを10年越しに知ることができて、本当に本当に心の底から嬉しかったです。

そこからかな、少しずつ胸の中にあったトゲみたいなものがすっと取れて、明音ちゃんと接することができました。

たった1年半で築き上げたものだったのに、元に戻すのには10年もかかってしまったね。

SKE48としても私としても明音ちゃんがいたから見れた景色がいっぱいあって、明音ちゃんがいたから学べたことがたくさんあって、明音ちゃんがいたから今の自分がいます。

ただやっぱり今日の今日まで明音ちゃんの背中に追いつくことも隣に並ぶことも、ましてや追い越すことなんてこともできませんでした。

どんなに距離があっても私にとってはずっと凄い人だったし、追いつきたい人だったし、初めて言うけど憧れのような存在でした。

今では明音ちゃんの周りにはたくさんのメンバーの姿があって、「ちゅりさん、ちゅりさん」と楽しそうな場面を見ていると嬉しいような寂しいような、でもやっぱり明音ちゃんの笑顔が見れて嬉しいです。

卒業コンサートを通しても後輩メンバーへの想いがたくさん感じられました。皆の真ん中に立って、引っ張って、楽しんで、騒いで、忘れずに仕掛けて帰って行く、最高に素敵なコンサートでした。ありがとう。

ただ明音ちゃんのいるうちにナゴヤドームでの単独コンサートが実現できなかったことが心残りです。

今ではあまり声に出さなくなったけど、「ナゴドコンをしてからじゃないと卒業できない」と言っていたのを覚えています。

でも過去に縛られてなかなか前に踏み出せなかった私たちに「今が一番楽しい」と明音ちゃんが皆を引っ張ってくれたから今のSKE48があります。

楽しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、悔しい時も、苦しい時も、どんな時も皆の先頭に立って、SKE48を守って戦ってくれました。

皆のためにとたくさん頑張ってくれた明音ちゃんだからこそ、明日からは自分のことをたくさん考える時間にしてください。たくさん甘やかしてあげて、遅れてきた青春を存分に楽しんでね。

寂しくないわけなんかないけれども、私も1人を存分に楽しみます。そして皆と一緒に「今が一番楽しいSKE48」を更新し続けます。

たくさんのごめんねとありがとうを込めて。

斉藤真木子

(2021年4月27日 SKE48劇場 高柳明音卒業公演「ラムネの飲み方」)