杏樹、19回目のお誕生日おめでとう。

杏樹は小さい頃から飛んだり跳ねたり体を動かすことが大好きで、元気いっぱいの女の子でした。

幼稚園の頃は男の子と戦いごっこをしたり、ジャングルジムのてっぺんからジャンプをするのが好きで、いっつも周りの人からビックリされていましたね(汗)

運動は得意で、縄跳びや鉄棒はお手本を見るとできていたので、この子には何かスポーツをさせないともったいないと思い、探している時に見つけたのが新体操です。

「新体操でオリンピックに出たい」と言われた時は冗談と思う反面、期待もあったので、可能性にかけてみたくて中学受験をしました。

入学してからは自由な時間は全くなく、練習も勉強も妥協できない状況で、家には寝るために帰ってくるという生活を過ごしていました。

日々のハードな練習で疲労骨折からの肉離れでドクターストップがかかり、「今休まないと取り返しのつかないことになる」と言われた時、「どうしても試合に出たいので今は休めません」と言って、松葉杖をも拒否した杏樹の真剣な眼差しは今でも忘れられません。

練習が少し早く終わって帰ってきた日はそのまま整骨院に行き、はり治療。細い体に余すところなく刺さっている針を見て泣きそうになるところもあったけど、お母さんが泣くと杏樹の邪魔になってしまうと思い必死に堪えました。

でも努力の甲斐あって中学2年生で団体メンバーに選ばれ、全国大会で優勝することができました。

翌年連覇に向け練習する最中、過呼吸を起こすようになり、杏樹の顔から表情がなくなり、話をしなくなりました。

「新体操なんかしたくない」と言って、初めて練習を休みました。何を話しても答えてくれず泣くばかりで困ってしまい、小学校の頃お世話になった新体操の先生の所に連れて行きました。

覚えていますか? 「最後の試合出たくないの?」と聞かれ、「出たいけど出たくない」と言った杏樹に対しての言葉。「試合に出るか出ないかは自分で決めたらいい。でも杏樹が出ないと決めたことで、他のメンバーも試合に出られなくなったら後悔してもしきれない。悔いを残さないためにもう少し頑張ったら?」でした。

聞いた後、泣くだけ泣いて、杏樹は試合に出ると決めました。

結果3位という残念な結果となってしまいましたが、あのとき踏みとどめたからこそ胸を張って「新体操をしてました」と言える今があるのだと思います。

これからのアイドル人生でも大切なこと、つらいこと色々あると思うけど、必死に頑張っていたら必ず誰かは見てくれている、応援してくれていると思うから感謝の気持ちを忘れずに夢に向かって頑張ってほしい。

最後になりましたが、ファンの皆様、スタッフの皆様、メンバーの皆様、本日は生誕祭を開いていただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

一番近くで応援してるお母さんより

(2021年6月23日 NMB48劇場 吉田朱里プロデュース「Will be idol」公演)