麻莉亜へ

二十歳のお誕生日おめでとう。

いよいよ大人の仲間入りですね。

研究生の中では令和になって最初の生誕祭ですね。

記念すべき二十歳の誕生日をこんなにたくさんの方に祝っていただけるなんて最高の幸せ者だと思います。

麻莉亜が二十歳になるなんて未だに信じられません。

麻莉亜という名前はお母さんのお腹の中にいる時からお父さんは「この名前」と決めていました。それはお父さんが一番好きなアニメキャラ(某ロボットアニメの主人公の妹で王女)。

幼い頃の娘は恥ずかしがり屋で、人に話しかけられると親の後ろに隠れてしまうような子でした。

近所のあやかちゃんという同い年のおてんばな女の子の後について走り回ってるうちに自然と体力が尽き、おとなしいけど活発な女の子になっていったかな。

5歳の時には補助輪なしの自転車を「そこのけそこのけ麻莉亜が通る」みたいに少し暴走気味で楽しそうに乗り回していたね。お父さん、走ってついていくのが大変でした。

そして6歳で新体操クラブに入ってからは華やかな衣装を着て(母が装飾していました)、人前で笑顔いっぱいで踊ることが好きと言っていましたね。その時から目立ちたいという気持ちがあったのかな?

忙しい毎日だったけど大会も応援に行けたし、私たちもいっぱい楽しませてもらった日々でした。

中学高校と部活と勉強の両立で帰宅が夜遅くなり、一息ついた時間に見ていたアイドルの番組がきっかけで自分も可愛いアイドルになりたい気持ちになったのかなと思っています。

ドラフト3期オーディションを経て晴れて研究生としての活動が始まってからは雑誌のグラビアのお仕事、NMB系番組、バラエティ番組に出演させてもらったりと活動する機会を与えてもらえたほうだと思います。

ダンスが苦手な分、一倍努力していたと思います。

でも自分の思い通りにいかなくてイライラしてる時期もありましたね。私たちができることは深夜や明け方までダンスの練習に付き合ってアドバイスするぐらいでした(主に母が)

やっとデビューができると思っていた日が先送りになった時が一番つらかったのか「もう無理、辞める」ってメールが来た時はさすがに心が折れていたね。

心配で急いで迎えに行き、ボロボロと涙を流している娘を人前でぎゅっと抱きしめていました。あの時のファンの皆さんからの「焦らなくていいよ、自分のペースでいいから、いつまでも待つよ」って言ってくださる励ましのメッセージで元気づけられて「諦めたらそこで全てが終わりだよ」と気付いてくれて頑張っていく決心をしたんだよね。

研究生公演もやっと初日を迎えることができ本当に良かった。先輩方や研究生メンバー、ファンの皆さんが支えてくれたことで今の自分があります。その全てに感謝の気持ちを忘れずに、これからもつらい時は1人で悩みを抱え込まずに誰かに相談してください。

また先輩たちにも積極的に絡んでいって欲しいです。

これからも努力を惜しまず一つ一つをクリアして欲しいと思います。

最後になりましたが、娘のためにお忙しいなか準備をしてくださった生誕委員の皆様、ファンの皆様、いつもお世話になっているスタッフの皆様、娘のわがままや悩みを聞いてくれるすべてのメンバーの皆様、本当にありがとうございます。これからもまだまだ未熟な娘をよろしくお願いいたします。

父より

(2019年5月13日 NMB48劇場 山本彩プロデュース「夢は逃げない」公演)