ここからはスピーチをさせていただきたいんですが、なんせ1年半分ありますので、少々お時間をいただきたいと思いますので、メンバーの皆さん準備をお願いします。
その間にちょっと私は顔を。
いや~、本当にこのスピーチを考えている期間、藤野心葉に1000回ぐらい感謝しました。
前例を作ってくれて、ありがとう。
というわけでですね、先にお伝えしておきますが、どうなるかわかりませんので、中学生のファンの皆さん、ごめんなさい。
(スピーチ開始)
はい、というわけで、改めて、こんなに素敵な生誕祭を開いてくださり、たくさんの企画を考えてくださり、配信でもご覧いただき、そしてロビーでも多分見てくださってると思います。ありがとうございます。
私の生誕祭って毎年遅れがちなんですけど、まさか3月になるとは思ってなくて。
でも、こうして無事に皆さんと温かい時間を過ごすことができていることに本当にまずは感謝していますし、当たり前じゃないんだなということを改めて実感しています。
あくまでも26歳の生誕祭ということで、25歳を振り返ろうかなと思うんですけど。
25歳は振り返ると、しんどい1年だったなと思います。
はなちゃんが卒業して、HKTをずっと支えてくださっていたスタッフさんが退職されて。もちろん皆頑張っているし、それぞれが頼もしいし、支えてくれようとしてるけど、でもやっぱり自分が不安になったらダメになっちゃうんじゃないかなとか思ってしまって、強がりながら、そして、ちゃんと見送れるように、どうにか立っていた時間だったんですけど。
でもやっぱりちょっと心のバランスが取れなくなって。
その後チームHでも立て続けに4人卒業したんですけど。
これも本当にたまたまそれぞれの人生の中でのタイミングがその時期だっただけで。
でも、ちゃんと1人1人を、ちゃんと熱意を持って見送りたいなと、その気持ちだけでどうにか頑張って寂しさを感じすぎないようにしていたんですけど。
でもやっぱり凄く弱くなってしまっていて。
ある時「どうしてチームHばっかりやめるんですか? キャプテンのあきちゃんが作る空気が良くないんじゃないですか?」っていうことを何度か言われることがあって。
今までは、そういうことを例え言われていても、楽しそうにしてくれているメンバーを、「大好きだ」って言ってくれるメンバーを信じていたし、ファンの皆さんのことを楽しませているという自信があったんですけど、凄く自分自身が今まで信じてやってきていたこととか、目指すべきだと思っていた姿が全部間違いだったんじゃないかなと思ってしまうような時期があって。
でも頑張らないと、と思っていたんですけど、自分のやり方が凄く、何をやっても間違っているような気がして、なかなかうまく立ち直れなかったなと思います。
いつもならそういう時にコンサートがあって。私はコンサートでいつも自信をもらえる場所で。
もちろん劇場も大好きで大切だけど、自分たちであの空間を作るっていう、あの一瞬のためだけにずっと準備を続けて頑張るっていう瞬間が凄く自分自身救われていたんだなっていうことを再確認する去年でもあって。
でも、それがなかなかなかったので、うまく、んー、頑張り方がわからないままの日々を過ごしていて。
そんな時に音々ちゃんの卒業も、もう決まっていて。
このままじゃダメだなあと思っている中で、何かを変えなければいけないと思って、夏にTEAM-ODACさんの浦安鉄筋家族に、初めてお世話になる団体で、1ヶ月東京にという形で出演させていただくことを決めました。
なんかわかりやすく何かができたっていう達成感があれば自分は立ち直れるんじゃないかな?と思って決めたんですけど、そこでもなんにもできなくて、もうこれでダメなら私どうしようもないなと思って。
もうどうしようもうないなって思った時に「もういいかな?」って思って。
っていうのは、今まで私は自分の中の哲学みたいなものがあって。
自分が、自分のことを好きなファンの皆さんだけに向けたものが広く伝わるわけがないなと思っていて。その先に伝わるようなパフォーマンスとか、お芝居とか、そういう姿勢で臨まなければいけないと思ってやってきたんですけど。
でももう、今頑張れるとしたら、私は私のことを好きな皆さんのためだけじゃないと、もう頑張れないなと思って。でも、それでもいいんじゃないかなと思いました。
そう思えたのは、皆さんが今まで何でも、どんなあきちゃんでもいいよって言ってくれるような人たちではなくて。もっと、私が込めた思いとか、熱意とかをちゃんと受け取ろうとしてくれていて。
誰かの評価ではなく、今の私が出す100%だということをちゃんと見てくれているという信頼があるから、そんな風に思えたのかなと思います。
そうして皆のために、皆が「良かった」って言ってくれたらそれでいいやと思って。思った結果、なんか色んなことがうまくできるようになってきて、頑張れるようになってきて、私に存在価値をくれていたのは皆さんなんだなと、改めて気づきました。
そこからBoostyのファン祭りがあって、何かソロステージを、イベントがあった時に、やっぱり私は皆さんにただかっこいいとか可愛いとか思ってほしいってよりも、私のことを好きじゃない方が「あきちゃん、豊永阿紀ちゃんいいね」って言ってるのを見て誇らしかったり、自慢げに思ってほしいと思っているので、それができるのは、私は、ステージの上の私だけであって、パフォーマンスであるなと思っているので。
あまり皆さんにお願いするようなイベントごとっていうのは、ほんとは得意じゃないんですけど、だけど皆と掴める、そして自分がもう一度自信を持てるためには、ここがターニングポイントなんじゃないかなと思って名乗りをあげた時に、皆さんが「そう思ってくれたことが嬉しい」と言ってくださいました。
なんかそれを聞いて、なんか待たせてたんだなと思いましたし、そんな私をずっと求めてくれていたんだなと思って。申し訳なくもあったんですけど、それ以上に凄く凄く力になって。
結果は、違う方のステージにはなったけど、あの時間がくれた価値っていうものは、私が一番大きいものを手に入れたんじゃないかなと今でも思えています。本当にありがとうございます。
そして、私は、それからは本当に皆さんのために頑張るってこともいいんだなと思ったというか、私は、皆さん多分ご存知の通り、大きい夢を持つことや目標を声に出して言うことが凄く苦手で、凄く怖いなと思っています。
後輩たちがこの生誕祭で色んな夢を語るたびに、凄く眩しくて、かっこよくて、凄く自分が情けないなと思うんだけど、やっぱり私にはできないなとも思っていて。
だけど、6月イベントの後に、とあるメールを皆さんに送りました。
それがどんな内容だったかを言うことすら私はやっぱり怖くてできないけど、その時に約束した、皆さんがいつか「あきちゃんを応援して幸せだったよ」って言えるような、私を応援する人生を私があなたにあげますという約束は今でもずっと頭と心の中にあって。
それは、皆が言う目標や夢とは全然違うというか、凄く抽象的で、なんか夢みたいな言葉に聞こえるけど、これが私なりの誠意で、私なりの覚悟です。
皆さんはきっと受け取ってくれていると思いますが、これは改めて、たくさんの人の前で宣言したいなと思ったので、改めて今ここで皆さんに約束したいなと思います。
そして、そんな過ごし方をしていたおかげで、凄く心が豊かになった26歳を今、過ごしています。
心が弱っていた時は、信じられなかったようなこともあったけど、でも新公演を作ったり、公演を改めて皆で向き合ううちに、やっぱりチームHで良かったし、私が皆と進んできた道は間違ってないなと、今は自信を持って言えます。
それは皆さんが日々たくさんのコールや感想をくれて、「好きだ」と全身で叫んでくださるから取り戻せた自信だと思います。本当にありがとうございます。
そんなわけで、26歳はなんかずいぶんしっくりくる年齢だなと思っていて、おかげで色んなことから、なんか肩の力が抜けて、色んなことに挑戦してみようと思っています。
なんか目の前に2つの道があったら、曲がりくねった道の方を選びたいなと思うというか、以前の私はそんな自分だったような気がして。
今までは、この数年は特にグループのことや、見られ方とか気にしながら選択してきたことも色々あったけど、そうじゃなくて、もう一度、自分の1人の人間として、1人のアイドルとしての選択を大切にしてみようかなと思って、そんなふうに今歩んでるんですが、そんな中で1つ大きな決断をしました。
ここで1つ発表をさせていただきたいことがあります。
私、豊永阿紀はこの度、別の事務所に所属させていただくことになりました。
緊張した。
音々ちゃんの写真集に憧れて、この発表してみたかったんです。
でもこれにはちゃんと理由があって。
もちろん年齢もそうですし、10年目を迎えるということで、10年目にはなっているのか、10年目ということで、で、同期もいなくなるし、卒業を考えないわけでは、まぁ正直ないんですけど。
でもそのぐらい、もう後輩たちのことを信頼しているし、楽しみだなと思っているし、先輩たちも、それぞれの時期が、それぞれの思っていることがあるだろうし。
じゃあ自分はどうするのかな?って考えた時に、やっぱり自分の将来、やりたいことに進んでいきたいなという思いもあったけど、ふと自分が歩んできた道を振り返った時に、たくさんの先輩方が「もう大丈夫だと思う。皆に任せたい」と言って卒業されていって。
その度に私は置いていかれたような、置き去りにされた迷子みたいな気持ちになっていて。
たぶん、今になって先輩はこんな信頼を向けてくれていたんだなっていうのはわかるけど、でもその時の不安な気持ちは今の後輩たちが持っているんじゃないかなと思って。
じゃあ私にできることって何だろうかと考えた時に、皆が、皆自身が「私たちは大丈夫だ」と心から思えるような道のりを、同じメンバーとして一緒にもうしばらく歩いていくことかなと思って。そして、それは自分のためでもあって。
私は凄く悪い癖があって、自分が、皆さんは「背負いすぎなくていいよ」とか「誰かの力を借りてね」ってたくさんの方に言っていただくけど、私はそれが凄く、んー、頼ったり、誰かに何かを任せるということが苦手で。
でもそれは責任感とかじゃなくて、それを誰かに任せた時に、自分からは何もなくなってしまうんじゃないかという怖さをずっと持っていて。
でもそれってなんか、よくないなーっていうのもずっと感じていて。
少しずつ少しずつ荷物を渡していく練習をしていかないといけないのかなと思って。
それで、どんな形を取れるかっていうのを会社の方に一緒に考えていただいた中で、このような形を取らせていただくことになりました。
所属させていただく事務所は「株式会社おうち」という新しくできた事務所なんですけども、ずっと数年前からお世話になっている脚本家の金沢知樹さんが発起人となられた事務所で、まだ本当に動き出したばかりの事務所です。
私もそこに明日付で所属させていただくことになったんですけども、それがどういう変化を生むのか自分自身にも、グループにも、変わるのか変わらないのかもまだわからないけど、そんなわからない道をグループの一員として進んでみたいなとも思いましたし、より活動の幅を自由に広げて、皆に、大きいというよりは自由な背中を見せられたらいいなと思っています。
もちろんグループでの活動も、キャプテンとしても、まだまだ活動は続けていきますし、何より目の前には15周年が待っていて、総力戦で向かわないと乗り越えられないこともたくさんあると思います。
だけど、この、去年の1年を乗り越えた私たちと、私たちのファンの皆さんなら、きっと素敵な15周年にできると思っているので。
そして、その先頭を走っていきたいと思っていますので、その、支える中に、この今見てくださっている皆さんがいてくれたら凄く凄く心強いし、どこまででも走れるなと思っています。
26歳、よりパワフルで、より創造的な1年を過ごしたいと思っていますので、26歳の豊永阿紀の応援もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ご清聴ありがとうございました。
以上です!
(2026年3月3日、17LIVE HKT48劇場、チームH「目撃者」公演)