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竹内美宥が宮崎美穂に送ったお手紙全文 (宮崎美穂 25歳の生誕祭)

敬愛する宮崎美穂さん

美穂さん、お誕生日おめでとうございます。さー、私が誰かわかりますか? 絶対わからなそう。あえて「美穂さん」って書いてみました。やーいやーい、誰かわからない状態だろうから何言っても大丈夫そう。

美穂さんにお誕生日のお手紙を書かせていただくということは昨日の我が家の一大ニュースでした。

研究生当時の私からしたら、ごめんなさい、みゃおさん、めちゃくちゃ怖かったです。

数年経って、ご飯にも行かせていただいたこともあったけど、私がめちゃくちゃビビっていたので距離を縮めることもできず、何年も経ってしまいました。

そんな私が遂にこの数ヶ月でたくさんみゃおさんの魅力を知れて、心おきなくお話ができるようになりました。

韓国のプロジェクト中、日本と韓国の子の通訳をしながら、年下の子たちの表情も伺いながら、グループのリーダーを務めるみゃおさんを階段や練習室ですれ違うたび見ていました。

競い合いの環境に来たのに、前に出て自分のことばかりアピールするのではなくて、まず人のために行動している姿は人としてなんて素敵なのだろうと思っていました。その時からみゃおさんは私にとっての一番の鏡でした。

みゃおさんと次の評価で同じチームになることが出来ました。とは言っても、やはり7年前の印象の名残がまだあって、実は内心とってもビビっていました。

でも、一緒に時間を過ごしていくうち、1人で読書をしていたり、小さい頃の習い事の話、実はめっちゃ乙女な部分など意外な一面をたくさん知ることができて、完全にイメージがいい意味で序盤でぶち壊されました。

そして何より、みゃおさんは心の痛みをわかって寄り添ってくださる愛情深い先輩でした。

韓国期間中、みんなそれぞれ傷つく瞬間がたくさんあって、私もありました。そんな時、みゃおさんの言葉によって我慢してた心が溶けて、泣くことが出来ました。一緒に流してくださった涙に何度も救われました。

みゃおさんの韓国語能力は日本と韓国の架け橋であるこのPRODUCE48にとって一番重要なことで、たくさんの人に伝えるべきことだと私は今でも思っています。

みゃおさん無しでは成立できなかったことも韓国生活の中で本当はたくさんありました。

この努力や愛情が日韓メンバーをたくさん助けたのだから、これこそPRODUCE48において重要なポイントだったのだと私は凄く思います。

誰でも真似できることではないみゃおさんの行動を知らず、無責任な言葉を言っている人に反抗したい気持ちでいっぱいですが、本気で長くなりそうだし、そろそろ私、叩かれそうなのでこの辺にしておきます。

とにかく、世界の皆さんに知っていただきたいのは、みゃおさんは誰よりも韓国語、日本語を話して、伝えたいことを通訳してくださって、みんなを繋げてくれたキーパーソンです。

ブンリョウチュセヨ(?)

そんなみゃおさんを本気で頼っていたんだと感じたのはラストステージが終わった後でした。みゃおさんも私も苦しみの中、最後のステージに立っていたことはわかっていましたが、私はずっと強がっていました。

番組が終わった後にみゃおさんの顔を見て抱き合った時、「あーっ、全部わかってくださっていたし、みゃおさんも本当に本当に苦しくてたまらなかったんだろうな。私はみゃおさんに何か出来たかな」と思いながら大号泣しました。

私にとっては誰よりも痛みを共有できたと勝手に思っています。一緒に戦うことが出来て本当に幸せでした。

今の私にとってみゃおさんはAKB人生の中で最初で最後の本心を伝えることができた先輩です。

私は今年いっぱいで卒業してしまいますが、これからプライベートでたくさん仲良くしてほしいです。

そして、今後別の場所で一緒にお仕事できるようになれたらまた幸せです。

今日はゆっくり休んでください。

お誕生日おめでとうございました。

長文失礼しました。

AKB48 竹内美宥

(2018年9月15日 AKB48劇場 チームA「目撃者」公演)

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